暗闇で 01 大学の講義が終わると、いつもあたしたちはお互いの学部の中間にある学食前で待ち合わせをする。 あたしは東側、今井は西側に学部があり巨大キャンパス内では結構距離がある。よほどの事がないとばったり遭遇なんてことはない。 けれど今日の待ち合わせいつもと違って、西側にある女子学生に人気のカフェテリア前だ。学食は質より良を重視した展開だけれど、同じ大学内食堂でもカフェテリアはパスタやらグラタンやらパフェやらとオンナノコメニューが充実していて、学食より値段が高めに設定されている。あたしと今井は学食に生息しているので、そちらは未知の領域だ。 そんな女の子の溜り場みたいなところに今井を待たせて悪いなあと思うけれど、キャンパス内で疾走するのも恥ずかしいので心持早歩きでそこに向かう。それでもジャージと作業着がみっちり詰まっていているリュックが揺れて速度が出ない。今日は実習と体育があったので大荷物なのだ。 「今井ー待ったー?」 「おー待ったー」 女の子が行きかうカフェテリアの花壇脇にでかい図体を寒さで震わせている今井を見つけた。居心地悪げな風にへらっと笑っている。てか、待ったっていうな。 側に近寄ると、今井は白菜と大根を両手に抱えていた。でかい。 「それが会費なの?」 「そう。実家から送られてきたやつ」 「今日一日抱えてたの?」 「ビニールに入れて持ってきたんだけどさあ。揺れたときに何かにひっかけて破れたんだよ」 しかもそれが午前中の出来事だという。今は17時。さぞや目立っただろう。 「あたし何買っていったらいい?」 「ん?ああ、お前は大根持ってってよ。白菜は俺の会費」 「あ、ありがと……」 ほい、と大根を寄越してくる。農大でもないのに、おしゃれカフェの前に大荷物で大根を剥き出しに持つ女子学生と白菜を抱える男子学生。……シュールだ。 「早くいこ」 寒いし恥ずかしいしで一刻も早くここを離れたい。 「ん。じゃああっちな」 今井は大根がなくなって空いた片手であたしの腕を掴み歩き出す。手じゃなくて腕だ。何も理由がなくても手を取ることに慣れてから、あたしがお願いした。大学内で手を繋ぐのは恥ずかしいから腕にしてって。 もちろん大学内でも繋いでる人はいる。腕を組んでひっついている人たちも。けれどあたしは、恥ずかしい。見ていると場所を考えろよバカップルって気分になるのだ。あたしだって手を繋ぐことは嫌いじゃない。でも、大学外れの並木道だったり、大学敷地内から出てからにしようと提案した。 今井からの反論は特になかったため、以来あたしの右腕を今井がつかむという接触方法になった訳なのだけど、これが連行されているみたいに見えてしょうがない。あたしと今井には身長差がかなりあるので、グレイ捕獲のようになってしまう。 なんだかんだ言っても触れずにいられないのは、あたしたちが場所を考えないバカップルだからなのだろう。あーいやだ。 しばらく今井に連行されていると西側奥にあるサークル棟に到着した。 今日はあたしも面識がある今井の友人たちが鍋パーティをするというので、お呼ばれしている。あたしたちはサークル未所属なのだが、今井の方は一人暮らしの仲間たちと時折互助会ご飯をしているらしい。 「田中くんが主催で、小島くんと坂下くん?」 「あと、男が二人追加と、田中と坂下の彼女だって」 「けっこう集まるね」 田中くんは幽霊サークルのメンバーだ。メンバーはいてもサークル自体の活動がすでに幽霊という、大学側から見ればさっさと解散に追い込みたいだろうに違いないサークルだ。すでに部室が部外者だらけの鍋パーティに利用されているのだから、存在意義はないに等しい。 今井と汚くて狭くて暗い階段を登り、四階の目当ての部屋をノックする。 「入っていいぞー」 返事を受けて扉を開けると、昆布だしの香りがふわっと溢れてくる。 「うわー腹減るなあ」 先に入って香りを全面に受ける今井に続くと、10畳程度の部屋の真ん中のテーブルにコンロとだし汁だけの大型鍋、春菊白滝鶏肉とビールが大量に置いてあった。そして今井の友人達が総勢七人。 包丁片手に田中くんが、待ってたよ、と近づいてきた。危ないってば。 「白菜大根遅ぇーよ」 「こんなのすぐ煮えるじゃん」 今井が振り返ってあたしの手から大根を受け取ると、そのまま田中くんに渡す。すると田中くんが今井の図体に隠れていたあたしに気づいて、今井の影からひょこっと顔を覗かせた。 「ようこそ。今井の彼女さん」 「どーもお招き預かりこーえーです」 にやり、となぜだかメガネの奥で黒い笑みを浮かべる田中くんに若干引きながら礼を述べる。今井と友達関係だったときから何度か会ったことがある。一緒に対戦したことも。それでもこんな笑い方していた印象はない。 「さあさあさあさあ中に入りなさいなーお二人さーんっ」 テンションが異様に高いことも気になったけれど、さっさと大荷物を置いて用意を手伝ことにした。部屋の外までは極寒だったけれど、人口過多のこの部屋は暖かい。マフラーも手袋もコートも、さらに着込んでいたカーディガンも脱いでしまおう。 そしてあたしは多分田中くんと坂下くんの彼女と思われる女の子二人に近づいて、ぎこちなく挨拶をする。文系学部なのだろう。冬でもピンヒールの御御足が美しい。あたしの学部には女子が少ないので、こういかにも女子大生ですってオーラを感じると怖気づいてしまう。 「今日はお邪魔します」 そのまま軽くお辞儀をして、何か手伝おうと腕まくりをすると、その手を左右から掴まれて握られる。もちろん今井じゃなくて、彼女さん二人にだ。 「かっわいー!」 「ちっちゃーい!」 「今井君の彼女とは思えなーい」 「熊とうさぎみたい!!」 きゃあきゃあと興奮しだす二人にあたしはどうしたらいいのか、汗が噴出しそうになる。かわいいなんて言われたことないし、こんなに綺麗な人達に言われても信じがたい。 ただ表情を窺うと、かわいいというより小さい子供を見ているような眼差しをしているので、嫌味ではないらしいことがわかる。少し安心した。それでもちょっと田中くん同様のこのハイテンションについていけない。 おろおろと助けを求めて振り返ると、今井が困った顔をしてあたしの腕を取り返してくれた。 「お前ら落ち着けよ。こいつ女慣れしてないから」 離れろ離れろ、と二人を手で払ってあたしを背中に隠そうとするが、所詮は今井。かしましい女の子たちに勝てるわけはなくあたしはあっさりと捕まってしまった。 それからは三人で全学部共通の授業のことや、あたしの学部の男の子のことなどを、あたしが事情聴取される形でおしゃべりした。途中何度も鍋の支度を手伝おうとしたが、左右のタッグは最強で抜け出せない。男の子達に任せきりになってしまった。そういえばこの部屋に入ってきたときも田中くんが包丁を持っていたことを思い出す。昨今の男子は万能フェミニストであることがモテる条件なのかもしれない。 なんだかんだと全く手伝わないうちに水炊きっぽいような鍋が完成してしまった。 あたしたちが手伝わなかったことを誰も問題視していないのが逆に恐縮でしょうがなかったけれど、そんなこと言っていても限がないのでご相伴に預かる。次回があったらちゃんと参加しようと心に決めて。 鍋はとてもおいしかった。おだしが効いていて、けれど雑味がない。味付け担当の小島くんは皆から絶賛を受けていたけれど、お酒が入ってからは「料理ができるのになぜモテないんだお前は」というネタにされていた。そして最後には焼き鳥屋でバイトをしている本日のお肉の提供者、あたしが初対面だった男の子たちと小島くんの三人はどうしたらモテることができるのか談義にも花が咲いた。 それにしても可笑しかったのは、今井が鍋を取り分けようとすると、 「震源地今井が起こるとこぼれるから触るな」 と皆が一切合財今井に手を出させないようにしていたことと、そのモテない男談義の中で今井がモテる男グループに属されていたことだ。 まあ彼女──あたしのことだけれど──がいるってだけでモテる扱いなのかもしれない。だって今井がモテるってそりゃないでしょ、糸目だしデクノボーだしと自分の恋心を棚に上げて大笑いした。 そして夜も更けて、でもまだ宴会は続くという段階で、隣に座った今井からわき腹をつつかれた。 「お前、終電大丈夫?」 「へ?」 ビールを置き、慌てて腕時計を見るとけっこう時間ぎりぎりだ。 「あ、まずいかも。急がないと」 「なら駅まで送る」 今井が立ち上がってあたしに荷物とコートを渡すと、自身もコートを羽織る。 その姿を見て、田中くんが驚いたようにあたしに向いた。 「あれ?帰っちゃうの?」 「うん…。うち滅茶苦茶遠いんだ」 片付け手伝えなくてごめんなさい、と皆に謝罪する。大学の最寄駅の終電はまだまだなのだけれど、うちまで到着できる乗り継ぎの電車は今を逃すともうなくなってしまう。 それを説明すると全員が全員、なんで?の顔をした。そして代表してなのか、田中くんが口を開く。 「なんで?今井んち泊まりじゃないの?」 とっ泊まり!? 頭を横にぶんぶん振って否定すると、再度怪訝そうな声で田中くんに尋ねられる。 「その荷物、明日の着替えとかかと思ったんだけど」 「ち、違うよ。これはっ作業着と体操着。今日実習あったからっ」 全力で否定する。先の田中くんのにやり、の意味が唐突にわかった。冷やかされていたんだ。顔が赤くなる。滅茶苦茶恥ずかしい。 困って今井を見上げると、あたしの想像とは違って平然としていて少し驚く。 「うっさい。ほっておけって。ほら、帰るぞ」 前半を田中くんたちに、後半をあたしに向かって言うと、あたしの腕をがっちりとる。連行だ。 「んじゃ送ってくるから」 「りょーかい。じゃーまたねー」 またねー、と皆が手を振ってくれる。あたしも手を振り返す。笑ったつもりだったけれど、少し引きつっていたに違いない。 |
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