落ち葉があるから



 うちの大学が誇るイチョウ並木が黄金の壁に染まってきたと思ったら、もうすでにイエローカーペットになってきている。
 風の向きも変わってきたみたいだ。経済学部の裏手には雌株のイチョウがあり、夏の風はそちらから吹く。季節が変わったことを忘れたように時折暖かい風が流れてくると、大学中が銀杏の臭いに包まれる。なんともいえない香りだった。
 けれどそれすらも過去のこと。
 もう、秋というより初冬になったのだろう。
 あっという間だ。
 けれど、一日はもっとあっという間だ。
 学部の違うあたし達は、さっき会ったばかりなのにもう帰らなければいけない時間になっている。これ以上暗くなると、あたしの帰り道がやばくなる。今井は送っていこうか?なんて簡単に言ってくれるけど、往復なんてしたら今井の帰宅時間は日付変更線を軽く突破してしまう。田舎なめんな。
 謹んでお断りすると、それでも駅までは見送るというので、ちょっと遠回りのこの並木を歩いている。

 この道はあたし達のお気に入りだ。
 顔を合わせばゲームばっかりやっている不健康な二人だけれど、室内に閉じこもっていることはない。お互い自然豊かな場所に住んでいたこともあって、時折外に出ては目を休めたり、気温を感じたりしないと集中力も途切れてくるのだ。
 そんなときこの道を歩く。
 無駄に枝葉を広げることなく、天を一筋に目指して伸びるイチョウは見ていると気持ちがいい。
 言葉にしたことはないけれど、この道が好きなのをお互い知っている。なんとなく感じている。
 そういうのが敏感に分かるようになってきた。ちょっと照れくさい。
 時が過ぎるのがあっという間でも、着実に日々積み重ねているものがあるということなんだろう。


 今日は一段と冷え込んでいる。マフラーと手袋もそろそろ出さないといけない。
 指先が悴むと、ゲーム操作ミスが増えて困る。今井との勝負は常に一進一退の攻防が続くので、外的要素での敗因は作りたくない。コイビトとはいえ、ゲームで負けるのはやっぱり悔しいのだ。
 今は手袋なんてないので、去年買ったばかりの煉瓦色のコートに手を突っ込んでせめてもの暖を取っている。
 でもこの道で両手が塞がるのは危ないかもしれない、と思い、また隣を歩く男のほうがもっとやばいかもしれないと更に思い直す。
「今井、この道で揺れたらマジ滑るよ」
 イエローカーペットは恐ろしいほどに滑りやすい。イチョウはもともと腐葉しにくいため、道の脇が小山になるほど積もってもなお葉としての形を残している。その上、昨日の雨の影響でアスファルトとの潤滑要素がばっちり付いてしまった。いつも揺らされては大げさなくらいビクついている今井だ。こんなところじゃひとたまりもない。
「俺もそう思う。早く抜けよう、怖い」
 今井も自らの所作への懸念があるのか、若干早歩きにした。けれど、それは案の定といおうか、今井の大きな足を滑らせるだけの結果に終わる。
「うわっと!」
 あたしは急いでポケットから手を出して、今井のジャケットを掴んだ。一応今井も持ちこたえる努力をしたのか、かなり体が傾いでいたもののみっともなく泥まみれになることはなかった。
 今井のお約束には呆れを通り越して、憐憫すら感じてしまう。
「今井さん、しっかりしてくださいよ。言った矢先じゃんかよ」
「サンキュー。…おっかしいなあ。揺れてなかったんだけどなあ」
 ゆっくり歩くか、とぶつぶつ呟いている。
 今井は疑問調に言うが、あたしからすればどう考えても必然の結果にしか思えない。揺らされているだけでかなりアレなのに、今井は万事ちょい空回りのところがある。
 今井が完全に体勢を立て直したので、ジャケットを掴んでいた手を離した。
 足早に、は今井が無理として、それでも慎重に早めにここを去ろう。
 そう思いながらまた、ポケットに手を突っ込もうとすると、上げかけた手をとられた。

「転んだらあぶないから。持ってて」

 きゅっと握られる。
 突然の感触に驚いて今井に目をやると、いつもはこっちみてへらりとしている顔がそっぽを向いている。耳が赤くなっているのが見えた。
 その赤さは、もしかしたら寒さのせいかもしれないけれど。
 ───今井の手、大きい。
 頬が急激に火照ってくる。見るのと触るの、全然違った。
 今時、手をつないだだけで赤くなるあたしって何者よ、と頭の中の冷静な自分がぎゃんぎゃんわめくけれど、体は全然冷静になってくれない。むしろそんな自分自身にも羞恥を覚えてなおさら熱くなる。
 ああ今、顔見られたら恥ずかしくて死ねるかも。
 そんな風に思って俯いてもすぐ、恥ずかしくて死ぬ奴がいるか、と自分に突っ込みをループさせて悪循環だ。  コイビトになってから、今井はあたしの心臓を止めにかかってくる。天然なのか、計算なのか。なんだか悔しい。
 一緒に転んだらどうしてくれんのよ、とか、手ぇ繋ぎたいならそういえばいいじゃん、とか言いたいことはあったけれど。
「今井の手、冷たいよ」
 せめてもの抗議として、そんなことをつぶやいてみるが、拒否していないのがバレバレだ。
「そのうちあったまるから」
 この顔の熱が伝われば、一瞬で暖まるのに。


 改めて感じると今井の手はあたしの倍くらい大きくて、ゴツゴツしていた。
 比例して、指も爪も骨ばっていてとても厳つい。
 こんなに太い指があたしと同じゲーム機のボタンをあんなにも早く操作できているなんて思えない。
 なんだか動きが鈍そうな感じがするのに。
 間違えてほかのボタン押しちゃわないかなあ。
 そう疑問に思っていると、今井がぼそっと呟いた。お前の指さあ。
「えっ?何?」
「お前の指、こんな小さくてボタン押せんの?同時押しとか厳しそう」
 そう言って今井がおかしそうに笑いかけてきた。
 あたしそんなに手ぇ小さくないよ、と言いかけて、それは女子間の話であって、今井の手のひらを思うとあきらかに小さい。
 今井はあたしの、あたしは今井の手が不思議。
 ───同じこと、感じてる?
 互いに自分の手が基準だから、相手との大きすぎる差異が驚くほど不自由に感じるている。
「…今井こそ、こんなふっとい指してたらボタン誤打するでしょ」
「いやいやこれが意外に器用なのよ」
 なぜそこで女言葉なんだ?
 今井は一々突っ込みどころ満載だ。
 けれど。
 同じこと、考えている。
 あたし達、言葉にしなくても、大好きだと知っているこの道で。
 手が触れて、恥ずかしくて。
 相手の手が違って、不思議で。
 同じ気持ちを抱えている。
 それがちゃんと伝わっている。
 なんだかとても。

 とても、心が暖かかった。



 その日は揺れずに済んだのだけど。
 数日後、やっぱり危ないだとか寒いだとか迷子にならないようにだとか理由をつけて、今井とあたしの手が重なっているときのこと。
 あたしは初めて震源地今井の震度今井を感じることになる。
 あーびっくりした。





落ち葉があるから手を取った。
そんなのは見え透いた言い訳でただ触れたいだけなのだ。



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