ダンボールの中はほとんどが紙物のようだ。
 黒表紙のイタイ部誌に、学校提出用の定例活動報告書が数冊。手書きコピーの研究資料集。怪しげな雑誌十数冊。
 この雑誌、本屋で見たことがあるけれど、信憑性の薄い都市伝説系のとんでも本扱いされてたはず。
 ノス研、マジ痛い。
 ただ、美しい装丁のナスカやマチュピチュの写真集もあるので、いたずらにゴシップ研究していたわけではない感じはあった。ざっと見た研究資料もノス研究だけではないようで、ノス研といいつつも歴史研究会といった趣もあるようだ。
 きっと雑誌は他の部員の持ち物で、黒髪の彼は遺跡や古代文明が好きだったのだろう。勝手にそう思うことにする。
 奥のほうにはアルバムが1冊入っていた。先ほどあけた写真袋より撮影が前のものはきちんとファイリングされている。
 ぱらぱらめくっていると、ふと気づいた。今は個人情報の問題もあって廃止されたようだが、当時の学生は苗字の入ったバッジを胸につけている。
 黒髪少年の名前が解読できる写真を探すと、一枚だけ発見できる。
 彼の身長は隣に写る女子より小さい。
 成長を見越して大きい制服を作ったけど3年間伸びませんでした、的なブカブカ学ランの胸元に。

 3−A伊藤

 名前まで愛おしく感じる。
 伊藤某かを確かめるべく、さっきみつけた活動報告書を見る。これには全部員の氏名入り報告が入っているはずだ。
 すぐ見つけた。
 伊藤は一人しかいかなった。


 研究会会長 3−A 伊藤 貴文


 会長かよ!
 よりによって一番本気かよ!!
 ああもう滅茶苦茶やるせないああ良く見たら部誌の担当全部伊藤て書いてある最悪どうしてこんなに綺麗な子が電波系に走ったのか今クラスにいたら更生させたいわタカフミ君いや年上だからタカフミさんかそれもまたいい響きだ1999年に18歳ってことは今は28歳かあたしと10歳差ナイスカポーーなんて妄想していると、またもや閃く天才あたし。


 黒髪の、白皙の、元美少年の、歴史好きの、うちの学校卒業生の、伊藤貴文。


 あたしが探した相手は、さっきまでいた歴史教諭の伊藤……か?
 本気を軽くいなす、あたしの大嫌いな男。


 息をのむ。
 携帯を見ると7時まで後10分。

 ───急がないといけない。

 あたしはノス研ダンボールから幾つか見繕って取り出すと、自分の鞄にしまった。
 その他のものは元通りに入れ直し、取ってしまったガムテープの代わりに斜向かいを組んで閉じると、再びダンボール山の頂上に戻した。勿論<ノス>の文字が手前に見えるようにするのを忘れない。
 後は椅子に足をかけ、今ダンボールを取ろうとしている状態だと見えるような体勢で待つ。
 暫くも待たないうちに、ドアがガチャっと開いた。
「悪い。任せたままだった」
 伊藤が入ってきた。間に合ったみたいだ。
「あ、伊藤先生。お疲れ様です」
「君もお疲れ。今日はこの辺にしておいたらどうだ」
「そうですね…あと一つ箱開けてからにしようと思ったのですが…」

 あの箱を、とあたしはノスダンボールを指差した。

 <ノス>の文字を認識した伊藤の顔が見る見る変わっていく。
 白皙の美貌が青白く震えてきた。
 ごくん、とつばを飲み込む音が響く。
「あれは!俺のいた部の箱っぽいから!俺が持って帰っていいか?」
 声がめちゃくちゃ裏返ってる。
 伊藤貴文、ノス研会長決定だ。
 18歳の少年と28歳の青年の顔がダブって、一致する。
「え?ノスって箱ですか?」
「そうそうそうそうそうそうそう。俺のも入ってるかもしれないしさ」
 あたしが返事をする前に、伊藤はそそくさと箱を取り始めた。
 椅子を使わなくても取れるくらいに背が高い。
 黒髪少年は遅い成長期を迎えたんだなあ。
「多分ないとは思いますけど、もし学外秘資料があったら持ってきてくださいね」
「了解。サンキュー」
 ほっとしたように伊藤が笑った。
 この笑顔でノックダウンされる女子生徒もいるんだろうと同じくヤられながらぼんやり思う。
 でもこんなに気の抜けた顔、みんな見たことあるのかな?
 超プライベート顔な気がする。
「ところで先生」
「何?」
 油断禁物だよ。
「ノスって何部なんですか?」
 ビクッと尋常じゃないくらい反応された。
 箱を抱えたまま、軋む音が聞こえるくらいぎこちなくこちらを向く。ギギギギギ。
「ああ…いや……たいした部じゃないよ。もうないし」
「そうですか?あ!もしかして!」
 伊藤の口元が半端なく引き攣れている。
 もう普段のスカした仮面、はがれてるし。
 まあ、いじめるのはこのくらいだな。
「──ノスタルジー映画研究会、とか?」
 あたしはかわいらしい素人探偵然とした表情を作って伊藤に目をやる。
 そうそう、そうなんだよ、ノスタルジー、映画好きなんだ俺。
 挙動不審の伊藤をみていると、あたしも作為無く笑顔がこぼれた。

 伊藤の過去を知ってしまったら、彼がなんであんなに恋愛感情に頑ななのかも想像できる気がした。
 ノストラダムスを本気で信じていた伊藤少年。高校生の女の子ってどうしても背が高い人に憧れを抱きやすい。チビだった彼はノス研の相乗効果もあってさぞもてなかったことだろう。
 卒業後、ノストラダムスの影もなくなり、背も伸び始めたらいきなり好意を寄せられ始める。大学デビューして友達はできたけど、そこは恋愛経験のないオタク時代が長いのでどう接したらいいか分からない。しかも相手は自分が電波であることを知らない人たちだ。お前らに自分の何が分かるのか。
 ───なんて感じなのなあ。
 そう考えれば、本気を嫌悪する態度は、オタクイジケ虫が作った卑屈な人間不信であり。
 あの自分に近寄るな的態度は、過剰な自己防御の結果とも推測できる。


 そして蘇る会長の言葉。
『恋に落ちるのなんて簡単なんだよ』
 簡単だわ。ほんとう。
 伊藤がこの部屋に入ってきたとき。
 きっと始まってしまった。


 あっさり落ちたのが悔しくて、もうちょい突いてやりたくなる。
「先生は泣いたんですか?」
「…泣いてなんか、……ない」
 普通、なにが?っていうんじゃない?脈略無い質問なのに。
 思い出してるんだろうな、8月12日。
「ノスタルジー映画ってすっごく泣けるの多いじゃないですかー。あたし家族ものとか弱くて」
「へえ…」
「あ、でも最近家族をすごく感じたのが、ポンペイ遺跡の資料読んだときなんですけどね。先生ご存知ありますか?ヴェスヴィオ火山の。って歴史の先生ですもんね」
 スミマセンといいつつ反応を窺う。案の定、遺跡ネタは意外だったのか、目を丸くしている。多分、こちらに興味を感じているはず。
 先週発掘TVスペシャル見といて良かった!
「遺跡とか古代文明好きなんです。昔の人もあたしと同じように、喜んで、悩んで、悲しんで、生きて、それで亡くなっていったんだなあって思うと、凄く興味がわくんです。なぜか懐かしい気もするし。不思議なことも多いからもしかして宇宙人がーとか考えたり」
 媚びは売らないように、今までと同じ、生徒会の優等生を演じ続ける。
 決して微笑みかけてはいけない。
 あたしから動いてはいけない。
 伊藤が警戒を解く、伊藤に何の恋心も抱かない生徒を演じなくてはならない。
 変わっていくのが伊藤からでないと、ばれた瞬間にこの瞳は冷え切るだろう。
「俺もそういうのが好きで歴史教師になったもんだから」
 にっこり。
 ああ伊藤元少年は単純だなあ。
 たった2回程度、彼好みの意外性をみせただけで本気の笑顔デスカ。
 人付き合い自体が少ないのかな。もっと警戒して頂戴。
 あたし以外にそんな顔みせたら、ぶっとばしちゃうぞコラ。


「そうしたら今日は遅いから終わりにしよう。春休みとはいえ、また来るんだろ?」
「はい。…めんどくさいですけどね。先生はいらっしゃいますか」
「土日は休むけど、平日はいる」
「じゃあ今度は手伝ってくださいますよね」
 勿論あたし一人になんてまかせないですよね、サボったら軽蔑しますよ。
 下心を押し殺して、億劫さを滲ませながら目を眇めてみせる。
 伊藤は恋をされなければ、基本的に気のいい兄ちゃんだ。気づかれなかった証拠ににやりと笑ってくれた。
「部屋施錠するぞ」
「あ、はい。…っイタッ……」
 あたしは眉を顰めて、足首を抑えた。
 伊藤がその様子に気づく。
「足、どうしたんだ?」
「先生がいないとき、椅子から降りようとしたら少し捻っちゃったみたいで…」
「保健室は…もう閉まっているか。腫れはどうだ?」
「それは大丈夫です。痛みも少しずつ消えてきてると思うので。ええと、あと少しここにいてもいいですか」
 腫れるわけはない。捻ってないからね。
 それを隠して、心底申し訳なさそうな表情を作る。
「そのままほっておくと悪化するかもしれないだろ。…車で来てるから送ってやろうか」
 二人で居残りの展開を期待していたんだけど、こっちの提案のほうが歓迎だ。
 軽く警戒を解いた生徒だとこんなサービスもしちゃうのか。伊藤のバカ。
「いえ、先生のご迷惑になりますから。方向が逆だと大変ですし。電車で帰れます」
 あくまでも謙虚に。
 いま気づかれたらお終いだ。
「家どこだ?」
「国岡東のほうですが」
「方面が一緒だから手間はない。乗っていけ」
「本当にすみません。…お言葉に甘えさせてもらいます」
 キタ!
 実は方向が同じなのは知っていた。うちの高校教諭の個人データなんてあらかた調査すみだ。ノス研までは見逃していたけど。
 さあこれで密室2人きりは確保されたな。少なくとも帰るまでの20分は彼の横顔を独占できる。
 綺麗な綺麗な、緑の黒髪伊藤青年の横顔。


 ひょこひょこと捻った足を庇う演技を続けながら、ノス研ダンボールを抱える伊藤と部屋を出る。
 あたしは鞄を抱きしめて、中に入っている写真数枚と部活発表の一部を確認した。
 怪しまれるといけないので、伊藤以外の部員の物もいらないけど確保しておいた。
 部員名簿があるから、情報が欲しかったら可愛い後輩のふりしてOB訪問するもよし。
 ああそうだ。伊藤が当時懇意だった女がいるならチェックしておかなければならないな。
 春休みが始まったら、鈴木先生にアポイントをとろう。
 あの好々爺なら喜んで元生徒の訪問を歓迎してくれるに違いない。
 ノス研の詳細を聞き、ノス研のアルバムを見せてもらい、勿論焼き増しもして貰わなくては。
 そしてうまく引き入れてこの恋も応援して頂こう。孫娘のように可愛がってもらったあたしの相談ならば、あのおちゃめな人だ。助けてくれるはず。
 同じく元生徒で面識のある伊藤が相手ならなおさらだ。

 一つだけ問題があるといえば、あたしがまだ生徒だってことよね。
 あたしは教師と生徒の一線なんて高飛びしちゃう気満々なんだけど。
 純情少年の過去を背負う伊藤を知ったら、あの『恋愛なんてバカらしい』然とした教師のスカした表情もかわいらしく思えてくるから不思議。
 それが見れなくなるのはちょっともったいないかなあとも思う。

 まあ卒業まではあと一年ある。
 少しずつ覚悟を決めてもらいましょう。


 そして最後の武器、胸に隠したこの一枚。
 純心伊藤少年の美しき涙。


 切り札は我にあり。
 その時彼はどんな反応をするか。あたしは想像しては楽しくて口元が綻ぶ。


『お前に目をつけられた奴はかわいそうだな』

 会長はつくづくイイコト言うなあ。
 同情しそうになるよ、あたしも。
 カワイソウな伊藤先生。


 もう逃がさないからね。
 あたしはそっと胸の内で呟いて、愛しい彼の後を追った。



JOKER
恋するなんて簡単じゃない?だってあなたはこんなに綺麗。



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