バーバラと彼




 私の息子は私の母、つまりは息子にとっての祖母が大好きだ。
 アニメは録画しておばあちゃんと見る、ご本はおばあちゃんに読んでもらう、歌のお兄さんと歌うよりおばあちゃんと熱唱。おばあちゃん子過ぎるぐらい母中心の生活。
 赤ん坊のうちは私から少しでも離れるとけたたましく泣き喚いていたのに。だんだん言葉を覚えてきて、人間としての個が確立し始めると、気付いたときには母に夢中になっていた。
 うちは共働きで、私と旦那が会社に行っている間は母が幼稚園の送り迎えから、私が帰宅するまでの面倒をみてくれる。息子からしてみれば、実母の私と過ごす時間よりも母と過ごす時間のほうが長いので、懐くのも無理はない。寂しい、という気持ちはあれど、それは私の身勝手な言い分だと分かっている。会社から帰って、息子の楽しそうな顔を見ると、疲れなんて吹っ飛ぶ。その息子の表情を成しているのが母だと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
 幼稚園にも友達は多いようだし、近所のお母さん仲間からも評判も悪くない。母に紳士で、父に敬意を、そして弱い人に優しい。贔屓目を差し引いても、素直な良い子に育っている。

 おばあ様々だ。

 と、思ってた。
 そんな日の終わりの出来事。



*



 今日は会社の避難訓練の日だった。それに伴って緊急時の速やかな帰宅を模擬するために、定時より1時間早く終業が義務付けられていたらしく、まだ空も夕焼けに染まる前に全社員が会社を追い出されるそうだ。私は寝耳に水だったけれど、課の同僚は社内webの告知を見ていたようだ。おかしいとは思ったんだ。若い子たちがみんな普段より濃い目の化粧で、普段よりフェミニンな装いで職場が華やかだった。早帰りに乗じてデートか合コンか飲み会か。
「課長、これから飲みに行きませんか?」
 私が心の中でスポ根と呼んでいる角刈りの部下が、声を掛けてくれた。
「週末でもないからねぇ。今日は家族サービスするわ。誘ってくれてありがと」
 スポ根は礼儀正しく、素直に慕ってくれているので、残念そうな顔をする。でも既婚者子持ちの身で飲み歩くほど家庭を疎かにはしていないつもりだし、それを周りがみな知っているのであっさりと引き下がってくれる。もう少し息子が大きくなったら、若い子を連れまわすのも職務の一つなのかもしれない。酒の席で悩みを聞くのも上司の役目だ。
 それを少し楽しみにしている。今年の新人の女の子はドジッ娘系だし、社内の実力にものを言わせて自分の部下を好きに配置したら、周りがスポ根、タラシ、姉御、オタク、眼鏡。なんとなく濃いキャラが集まった。旦那と息子が最愛なのは不変だけれど、社会に出ると人脈を広げる楽しみがある。お金にもなる。会社も私を必要としてくれて、産休後1年で最年少課長に昇進させてもらった。その喜びも楽しさも、家族の支えがあってのことだ。私は理解者に恵まれている。
 ケーキでも買って、息子サービスに勤しもう。
 そう決意すると、私は手早くデスクを片つけて快晴の空の下、会社を後にした。



 ケーキを片手に私は母の家のドアを開けた。私にとっては二十数年住んでいた家なので、自宅より手がなじむドアだ。いつも鳴らすインターフォンを使わず、音を潜めて合鍵で開けたので息子の出迎えはない。予告なしに早く、そしてお土産つきで帰ってきたことを単純に驚かせたくなったのだ。
 玄関とリビングの間には廊下と扉があり、よほど大きな音を立てない限りは気付かれない。私は慎重に靴を脱ぎ、静かに静かに扉の前に立った。
 息を吸い込んで思いっきり扉を開け放って登場しようと、驚く二人を想像しながらノブに手をかけた瞬間、リビングから音が聞こえた。

「ねえバーバラ」

 息子が明るい声で誰かと話している。
 ……バーバラ?
 リビングに続くドアの嵌めガラスからそっと中を窺う。しまった。旦那と父が帰宅する前に食べてしまうつもりでケーキは3つしか買ってきていない。お友達がいるのなら、私が我慢するしかないのかも。
 大人としての常識に若干の切なさを感じながら、バーバラちゃんを探す。幼稚園でも聞いた事のない名前だ。けれどバーバラちゃんの姿は分からず、愛しの息子と貫禄のある体型の母。その二人しか見当たらない。
「バーバラぁ。なまはげたいそうしたい」
 息子がまたバーバラちゃんを呼ぶ。どこだ?私は二人から死角になるように位置をずらし、ドアに身を寄せて探す。けれど、見つからない。息子の視線の先をたどると……。どうみてもあの人しかいない。
「じゃあ一緒に踊ろうか」

 母の、声。

 バーバラって、オイ。
 最初、母は実名の『花江さん』と呼ばせようとしていた。年下の子に名前で呼ばれるのが夢だったと。父と私の猛反対を受けて結局はおばあちゃんに落ち着いたのに、影で微修正していたとは恐ろしき執念だ。
 しかもバーバラ。
 ばーばじゃ満足できなかったんだろう。息子にせがまれてDVDをセットし、よたよたと踊り始める自称バーバラを見つめた。完全なモンゴル系にバーバラというセンスはいっそ清清しい。でもそれとこれとは別。息子は今朝まではおばあちゃんと呼んでいたことだし、今日思い立ってバーバラに変更させたのかもしれない。ならば、戻すのは簡単だ。
 私が見ているとも露知らず、リビングではテンポを微妙にずらしながら右に左に動いている。なまはげ体操はローカル民放で放送される子供番組の、エンディングで登場する人気コーナーだ。国営には遠く及ばないクオリティながら、息子はこちらを気に入っていて、踊らなくても歌っていることが多い。
 顔は旦那似だが頭だけは最高学府出身の私に似てくれたため、息子のもの覚えは恐ろしく良い。腕の角度とかはぎこちないながらも見事ななまはげぶりだ。泣ぐこはーいーねーがー。
「バーバラてがちがうよー」
 お兄さんと向かい合って踊っているのに、母は同じ方向に手を上げてしまっている。お兄さんの右は母にとっての左なのに、つられてしまうのだ。父と旦那もよくつられている。息子と私だけが完璧で、そういう面でも息子の頭脳は期待できると再確認する。
「あらやだ間違えちゃった」
「しょーがないなーやりなおそーね」
 まだ息子はDVDを操作できないので、母にコントローラーを手渡す。
「ありがと。ゆうちゃん」
 母が息子に礼を言う。教育上、誰が相手でも何かしてもらったら必ず礼をするとうちでは決めている。すると、息子が、鮮やかなほどにっこりと微笑んだ。
 わが子ながら惚れ惚れと見ていると、息子が悠然と口を開く。

「それがボクのよろこびです」

 ……なにそれ。
 あまりにも芝居がかった様子にびっくりする。けれど、母はうふふっとにやけ笑いをして親指を突き出す。
「素敵よゆうちゃん」
 子供はどんな会話をしたらでてくるのか分からないような言葉を、いつの間にか使っていたりする。It's my pressure.なんて粋なことをするお友達もいるもんだ。私にもやってほしいぐらい。
 母が少し巻き戻して踊りを再開し始めた。
 なんとなく突入する機会を逃してしまって、私は暫く二人の跳ねたりゆれたりする姿を眺める。するといきなり母がリモコンをガシッと手に取った。
「一時停止っ!」
「えーなんでー?バーバラとめないでよー」
 一緒に踊っていた息子は、動作を止められて不満そうに抗議する。
 しかし、母はそれを宥めてテレビに近づき、一時停止をしている体操のお兄さんのバストアップ画面を指差した。
「ほら、ゆうちゃん。見て御覧なさい」
 万歳を右に左に揺らして、クライマックスのさよならポーズだ。満面の笑みと、額に輝く汗。足元のジャリンコたちはほぼ見えないカメラ位置だ。私はこのお兄さんは当たりだとひそかに思っている。
「なあに?ひろおにいさんだよ」
「ココよ、ココ。ひろお兄さんのココ」
 母が指差した先は───脇の下だった。
「ゆうちゃん。ココ、色変わっているでしょう」
「ほんとだー。ふくのいろ、かわってるね」
 私のいる距離からじゃ遠くて見れないけれど、多分汗で色が変わっているんだろうと想像できる。お兄さんはいつもの体操コーナーを終えた後だし、子供を見ながらの全身運動はかなり労力を要すると思う。
 だが、それがどうしたのバーバラよ。
 私が影に隠れながら疑問に思っていると、それに気付かない母が口を開いた。


「すっごく臭いのよ」


 聞き違えたのかと思った。
 でも合っていたらしい。母がやけに真剣な声で続ける。
「納豆より臭いの。すっごく臭いの。納豆とくさやを合わせた以上に臭いの」
「くさやってなあに?」
 微妙に質問期が抜けきらない年齢の息子なので、少しでも疑問に思うとそこで会話を止めてしまう。けれど、疑問にもつのはくさやじゃなくて、臭いからなんなのさ、という方向になって欲しかった。さすがにまだ無理だろうけれど。
 それにしても、仕草はかわいくて仕方ない。小首を傾げて唇を尖らせている。目を大きく見開いて爛々と輝かせる様子は、もう何度も見た。なんで?どうして?の時にだけするポーズで、その度、あまりのかわいらしさに抱きしめてめちゃくちゃにして頬にちゅーしまくった。ちなみに眉をへなっと寄せると、ごめんね?のポーズになる。勿論許しまくってしまう。
 私が隠れて息子萌えをしていても、母の独壇場は終わらない。
「臭いお魚のこと。その臭さは野を越え山を越え谷を越えはるかイスカンダルにまで到達するといわれている幻のようで商店街にも売っているお魚なの」
「……へえ。くさいんだねえ」
 ついていけなくなると質問せずにスルーする癖も出てきている。質問期の終わりかな、と思っていたけれどその裏で母がそうなるような会話をしていたことは間違いないようだ。
 5歳の息子がイスカンダルを知っている訳がない。
 なんだか息子に対する日頃の成長と疑問を解決するいい機会でもある気がしてきて、息を潜めながらじっとりとリビングを窺う。気分は小林少年だ。
 ちょっと浮かれ気分になっていると、息子のかわいらしい質問期が復活する。
「ねえバーバラ。くさやってJJのおならとどっちがくさい?」
 今度はJJ?!
 どんなコードネームなのさジェージェーって。……臭いおならをする人物はひとりしか思いつかないし。母の思考から推測するとJI-JI、じーじを略してJJだな。カッコよすぎるだろうよ、うちのバーコードじいさんには。
「あーどっこいだね」
「JJほんとおならくさいもんねー」
 くくくっと息子が笑っている。そして歌い踊る。
 くっさーいくさーいおならくさーいぷー。
 ああ、噂に聞く肛門期の襲来だわ。5分に一度はうんこおならが続くようになるんだわ。TPOも考えずにうんことおならで歌い踊る日々が始まるんだ。
 私はなんだか生温い気持ちになって、今後を憂いだ。さらば息子の天才計画。
 まだ、母と息子の会話は続く。
「でも総合的に見たらお兄さんの勝ちだよ」
「えーなんでーどーしてー?」
 お兄さんの脇の下はね、と母が秘密を打ち明けるようなもったいぶった調子で声を潜める。息子も無駄に期待している。私もなんだか、その様子につられて神経を集中させる。
 母はためてためて、そして一気に言った放った。


「JJのおならに酸っぱさとしょっぱさと苦さと雄の主張と将来の不安と乙女の胸キュンを更に足してぐちゃぐちゃにコネコネしたやつなんだよ!お兄さんの脇の下のほうが圧倒的に粘っこ臭い雄汁なんだよ!」


 おええぇえぇぇぇぇ。

 口の中に胃液が上がってくる。その味でさらに誘われて喉がえづく。自分の想像力の豊かさに眩暈がしてきた。
「ギャハハハハハ!すっごーい!かぎたい、ボク!」
 意味の半分以上は絶対に判って無いだろうに、母の芝居がかった言い回しがツボだったのか、息子がかなり興奮し始めた。
「バーバラ!ボクかいでみたい!おにいさんのじゃなくちゃダメなの?」
「そおねえ。じゃ、バーバラと一緒に駅のほう行こうか。おうちに帰る前の太ったサラリーマンの脇の下なら気絶しちゃうかもよ」
「いくーいくー!!」
 きぜつーきぜつーと両手を振り上げて息子が立ち上がった。そして、叱ってもなかなか片つけないおもちゃを率先して片つけ始めた。いつもは私が用意しても頭を振って嫌がる帽子を、自ら手に取り自ら被る。下がって足元に丸まっていた靴下を両手で持ち上げる。どんなに注意しても直さないから私が手を出してしまうのに。
 立ち上がろうとする膝の悪い母に手を貸す。
 母の前だとちゃんとできるなんて……。
「ママには言っちゃダメだよ」
「うん!ボクとバーバラのひみつだよね!」
「そう。ママのこと好きでしょ?」
「うんだいすき!」
 間髪をいれずに息子が叫ぶ。
 私は目の奥ががじんわりと熱くなるのを感じる。たとえ私の前では手のかかる子供でも、息子に愛されているのは、その声で確かに分かった。
「じゃあママには優しくしなさいね」
「わかってるよ。ママにはやさしく、それにちょっとだけあまえるんでしょ?」
 甘える?なにそれ?
 感動も束の間、意味が分からないので、私は息子を凝視する。

 こうでしょ?と言いながら息子がコテンと首を傾げた。
 2回ほど瞬きをすると大きな目がきらきら輝き始める。
 尖らせた小さな口。
 オプションで緩く握ったこぶしを口元に当てている。

 何度も何度も見たことがある。愛らしい仕草。
 背中に、冷や汗が伝ってきた。
「上手!ママが本気で怒こることはダメだけど、ママが楽しそうに怒っているときは甘えてやりなさい」
「だいじょぶ!ママはいつもにやにやしてるよ」
「えらいえらい」
 母が息子の頭を帽子越しに撫でる。その手に息子は嬉しそうに笑う。
「じゃ、行く前におさらいしようか」
「いえすまむ」
 私はビシッと敬礼を決める息子を唖然と見つめる。
「ママの前では」
「おばあちゃん!」
 母の合図に手を上げて息子が答える。
 え?前からバーバラって呼んでたの?!
「お礼を言われたら」
「それがボクのよろこびです!」
 それさっき見たっ。
「どうしてのポーーーズ」
 首をコテン。
「ごめんねのポーーーズ」
 逆側にコテン。
 強めに処方されているコンタクトのお陰で、眉を寄せている表情が良く判る。なんだか、小林少年は凄いものを見てしまった気がする。
 心ときめく愛らしい仕草の全ては。
 綿密に計算され尽くしたもの、だった。


─── 息子は腹黒タラシになっちまった。


「お母さん!なにしてんのよっ!!」
 私はもうとにかく色々我慢ができずに、叫びながらリビングへ乗り込んだ。その勢いに中の二人は驚いたものの、やっぱり脳が若い息子は反応が早く、ふんわりと笑顔を作った。
「ママ、おかえり」
 駆け寄ってきて腿辺りにきゅっと抱きついてくる。母と同じように頭を帽子越しに撫でてやると、彼の顔が更に笑みを深くした。
「へ?なんでいんのアンタ」
 息子かわいさに一瞬忘れかけたものの、間の抜けた母の声を聞いたら、また興奮が蘇ってくる。
「今日は早上がりだったの。それより何よバーバラって、JJって!」
「かわいいでしょ」
「還暦過ぎたらおばあちゃんでいいでしょーが!」
「やあーよぅ。アタシはまだシルバーじゃないもん」
 しらっと言い放つが、還暦過ぎてもう幾年経つしいいじゃないか。しかも、この間の休みに行った映画、シルバー料金1000円で観た癖に。
「それに、脇の下の臭いとかヤメテ!うっかり思い出しゲロしそうになったじゃない!」
「……アンタずっと盗み聞きしてたのね」
 呆れたように母が私を見つめる。呆れたいのはこっちのほうさ。うちの息子に何を嗅がせようとしていたのか。
「禄でもないこと教えないでよ!イスカンダルとか粘っこいとかとか」
 夏場の満員電車を思い出してきた。脂ぎった頭皮と蒸れた脇の臭いが蘇り、うっぷと胃液がせり上がる。
 微妙に悶絶していると、スカートがつんつんと引っ張られる。
「ママ、ごめんね?」
 下を見ると、息子が小首を傾げて、赤い唇を尖らせて、大きな目をうるうるさせている。甘えのポーズがかわいすぎだぜわが息子。だが、その手には騙されない。さっき聞いてやったわい。
「ゆうちゃんは悪くないのよ。そのままでいいの。ママがおばあちゃんと話をするからね」
 計算とは知りつつも、そのかわいさは捨てがたい。思わず許してしまったら、逆に息子が私の言葉に不安を覚えたようだ。
「バーバラのこともおこらないで……あ、いけない!おばあちゃんだった!」
 はっとしたように口に手を当ててかわいらしく眉を顰める。母を上目遣いで見上げて、まちがえちゃった、と呟いている。あまりの愛くるしさに鼻血を吹きかける。
 これは、多分素の息子だと思うが、計算だったらどうしよう。そう思って横目で母を見ると、良く出来ました、の顔をしているのがわかった。
 ……なんてこったい。
「お母さん、なんでこんなこと教えてたの」
「こんなって、腹黒タラシ?」
 私が思っていたことそのまま言葉にする母に呆れを通り越してシンクロの感動すら覚える。でも、ここで負けちゃいけない。
「そ、そうよ。こんな、相手の心を計算して自分をよく見せるなんてこと教えなくていいじゃない。かわいいからってダメよそんなの。小首を傾げるなんて三次元の男の子がやるわけないじゃない。あんなの二次元だけの世界だから許されるんであって、まあ実際ゆうちゃんがやってもかわいいんだけど、高校生になってからこんな仕草されたら旦那に似てるからってそりゃかわいいかもしれないけどでも……」


「アンタ、顔がにやけてるわよ」


 言葉を詰まらせた私を横目に、母はリビングの入り口に放置されたお土産を発見して、それを拾い上げる。
「あらアンタ、ケーキ買ってきたんじゃない。ゆうちゃん、お出かけは今度にして今日はケーキ食べようよ」
「わーい。ケーキケーキ!」
 早速帽子をはずして喜ぶ息子。そして私に向いて、言う。
「ぼくのこころは、あなたにつつぬけみたいだ」
 そして胸に手を当てて、まいったな、と呟いている。5歳の息子が。
 ───半端ない。
 母はまたもやその姿を見て会心の笑みを浮かべている。仕込んでいる。間違えようもなく、確実に母の仕込だ。

 息子はまたケーキケーキとさえずり始めた。まだまだ甘いもの好きの子供であることもまた間違えようのない真実。素直に母のいうことを聞くのも、肛門期が迫ってきているのも、子供の証拠だ。脇とか粘っこいとかそのへんは確実にやめさせなくちゃいけない。
 けれど。
 息子が顔だけはそっくり受け継いだ旦那の高校時代を思い出す。昔っからヘタレな性格だったけれど、それを押して余りある顔だけでチョイスした旦那だ。いまでこそヘタレ姿すら愛情に変わっているものの、この顔にはこの性格じゃないと常々思っていた。一見好青年ながら細身の体と闇色の黒髪、妖しく冴えた瞳を覆うフレームレス眼鏡に合う性格は、利用できるものは利用し、自らの外見すらも武器に媚びる女を翻弄し、味方すら欺くような……。
 そして、また思い出す。
 私と母の好みは似ている。元はといえば、私が友達から借りてきたマンガを母に勧めたのがきっかけで、母がオタク化してきたような記憶がある。きっかけは私なのかもしれない。だからなのか、嵌ったマンガも萌えたキャラも似ている。かつては女装の踊り子に悶え、少年狐使いに溶かされた。柔和な笑みと、計算高いその内面。冴えた心と裏腹の甘い台詞。
 属性は ───── 腹黒タラシ。

 そして、息子は旦那の顔を持ち、私の頭を引き継いだ。

「お母さん」
「なによ」
 皿を用意しようとしていた母がこちらを振り向く。パンパンに太った顔を見る。かつては膨らんだ頬のツヤゆえに年齢不詳のところがあったが、さすがに皺が深く刻まれるようになってきた。母も年をとった。でもその分だけ私たちは一緒にいた。私と母はいつだって仲良しだった。ずっと一番の親友だった。毎日沢山の小説を読んで、マンガを読んで、アニメを見て、いっぱい語り合った。
 私と、母の、好みは似ている。
 彼女は、私のことを、何でも知っている。

 だからもう、この一言しかいえない。


「グッジョブ」


 にやあ、と笑うバーバラの顔は、かつて愛したアニメの名参謀そのものだった。


END


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